デザイナー紹介

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HIROMI YOSHIDA

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 パリのオートクチュール技術を学ぼうと単身渡仏したのは1960年代半ば。同時期には高田賢三氏や三宅一生氏を始め、各国から熱意のある仲間達が集まり活気ある日々だった。大好きだったオードリーヘップバーンのドレスを手掛けているジバンシィ社に「私はここで働きたい」と書いたメッセージをもって毎日毎日通い続けて、ようやくアトリエに入る許可が出た時には、自分はフランス語が良くわからないということをすっかり忘れていた。一週間の見習いということで、一枚のオーガンジーのブラウスを仕上げると、次から次へ布地を渡されようやくここで働くことを許されたのだと理解した。
 私はどこの洋裁学校も卒業していない。日本でオートクチュールサロンを経営する母のもと針と布地の中で成長してきた。自分でも知らないうちに、しっかりと母の技術を受け継いでいたのだ。服を一点一点仕上げていく素晴らしさをこのとき体で感じることができ、世界中からジバンシィのオートクチュールサロンに集まるマダムたちの姿を見てエレガンスを学んだ。「服はデザイン及び上質な素材と技術、そして着る人の内面から溢れる知性やエレガンスと相まって光輝くものなのだ」ということを確信し今日の服作りのベースになっている。
 日本に活動の場を移し「CLOVE vs CLOVES」「HIROMI YOSHIDA」の2ブランドとオートクチュールを手掛けているが、20代にパリで学んだ服作りのベースを崩さずに作り続けている。服作りにはこれでよいのだという終わりがなく、時代の波に向き合い常にアンテナを立てて日々を過ごしている。

HIROMI YOSHIDA Profile

1960年 セツモードセミナーにてファッションイラストを学ぶと同時に、
母親の経営する「オートクチュールSetsu」にて服づくりの技術修行する。
1964年 セツモードセミナー卒業。
1965年 渡仏。日本人として初めてジバンシィ社に入社。
デザイン及び技術が認められ、ジバンシィ社より7年間有効の労働許可証を取得。
アトリエチーフのアシスタントであるセコンドになり、オードリー・ヘップバーンをはじめV.I.P顧客の担当になる。
1968年 アメリカのハーパス・バザー社のスチリストに推薦され渡米。ニューヨークで一年間コーディネート力を養う。
1969年 パリのジバンシィ社には戻らず帰国。
母親が経営するオートクチュールサロンのデザイナーとしてクリエーション活動を始める。
1971年 第一回吉田ヒロミオートクチュール春夏コレクション発表。
1972年 ブランド [イグレグ] 発表。
1978年 T. D. 6のメンバーとなり、第14回1978~79年秋冬コレクション発表。
1980年 株式会社 吉田ヒロミデザインインターナショナル設立。
「CLOVE vs CLOVES」発表。
1985年 東京ファッションデザイナー協議会の設立にかかわりメンバーとなる。
1992年 名古屋国際絞りフェスティバルに参加。絞りコレクションを発表。
HIROMI YOSHIDA秋冬コレクション発表。
財団法人日本ユニホームセンターの理事に就任。
1994年 「CLOVE vs CLOVES 岡山店」オープン。
1997年 昭和女子大学にてこの年から生活美術科(現 生活環境学科造形デザインコース)の講師を務める。
1999年 この年から4年間昭和女子大学の客員教授を務める。
財団法人日本ユニフォームセンター主催の「ユニバーサルウェアショー」にこの年から2005年まで毎年参加する。
2006年 セキュリティコンセプト「ユニフォーム&ユニバーサルウェア」の企画、開発に参加。
日本デザイナークラブ(NDC)の名誉理事となる。
2007年 「東京発 日本ファッション・ウィークに」初参加。
2008年 HIROMI YOSHIDA 春夏コレクションを発表。
2008年 2009年 HIROMI YOSHIDA 秋冬コレクションを発表。
2009年 東京広尾に「House of HIROMI YOSHIDA」をオープン。